久々に
「心に残るよしりん語録」
をご紹介します!
こんにちは!東海支部のたこちゃんです。
50代半ばになり、疲れを感じることが多くなりました。
10月近くに気候が涼しくなった途端に夏バテがイッキに出て、毎日やっとの思いで仕事や家事をやっております。
こういう状態が続くと何もかもお手軽に、特にお化粧など適当に済ませたくなりますが、次の名言を思い出し自分を律しております。

「願わくば40代・50代になってもブリやコビは続けるべし!
それは緊張感の持続なのだから美しい!」
(『ゴーマニズム宣言』5巻 第102章「ブリッ子の変質」)
一昨日のブログで、小林先生は「ゴー宣道場の女たちは、女のままで天下布武のウシハク精神を精神を発揮し
てほしい。」と書かれました。
高市氏のように、生物学的には女なだけで、男性に近づきたいだけの人がリーダーになっては、昨今よく言われている「多様性」の広がりはなくなり、世の中の停滞感は払拭されないでしょう。
私は、自分の内になる女性性を大切にしながら、停滞感をブチ破る一助になるように活動していきたいと思います。
この「ブリッ子の変質」という章は31年前の作品で、登場する「ブリッ子」も松田聖子や裕木奈江と、さすがに時代を感じますが、こういうタイプの女性って、北原みのりみたいなフェミの人が「女の敵」みたいに攻撃していて、そうして30年の間に見なくなっていったというような印象があります。
そうしていま話題となっているのが、女の皮をかぶった男みたいな高市早苗で、それを北原みのりが擁護してるってのは、どーゆうことなんでしょうか?
そもそも、よしりん先生が好きな女性のブリやコビと、論壇ホステスの女性がやってるブリやコビは、どー違うのでしょうか?
もっと言えば、果たして「男らしい」「女らしい」という感覚は不要なのでしょうか?

SPA! 2020.4.28号
5年前、よしりん先生は本格的に『フェミニズム論』の連載を開始したものの、『コロナ論』を描くため中断、作品は単行本にも未収録のままです。
『神功皇后論』が好調なので、この続きが描かれる可能性は低いのですが、このテーマ、今こそ重要さを増しているとも言え、非常にもったいない!と思ってしまいます。




















